「 対中小泉外交の惨めな敗北 」
『週刊新潮』 '05年5月5・12日号
日本ルネッサンス 第164回
4月23日夜、ジャカルタで日中首脳会談を終えた小泉純一郎首相は、外国の記者団に「ベリー・グッド・ミーティング」だったと手を大きく振って答え、日本語での会見でも「日中友好がいかに重要か、その認識を確かめることが出来た」と成果を強調した。
日本を貶める外交を展開したあとに、よくこんなふうに胸を張って言えるものだ。小泉叩頭(こうとう)外交のもたらす負の遺産はひとり小泉首相にとどまらず、日本全体に及び、次の世代にも禍根を残す。そのことを、この人物は、恐らく気づいていない。
なぜ、首相はアジア・アフリカ会議(バンドン会議)で、村山談話を繰り返さなければならなかったのか。村山談話は周知のように第二次世界大戦についての「痛切なる反省と心からのおわび」である。同談話を語った村山富市氏が首相として一体どのような形で日本を代表したか、その恥ずかしい姿を、私たちは思い出すべきだ。94年、インドネシアでのAPEC首脳会議の日中首脳会談で村山氏は江沢民国家主席から冒頭にピシリと言い渡された。「日本で軍国主義といった認識が出てくるが、これはよくない」「(加害者としての)歴史を忘れることなく、歴史を若い世代に教えていくことが重要だ」
94年に、どんな「軍国主義」への動きがあったかを、日本人は思いつかないだろう。それもそのはずだ。そんなことはなかったのだ。だが村山氏はおとなしく拝聴したまま、「第5次円借款は今年(94年)度中にも3年分の枠について合意したい」と別の話題を切り出したのだ。当時第5次円借款の交渉が進行中で、日本側は5年間で1兆円を目処とし、中国側は1兆5,000億円を要望していた。3年分といえば6,000億円から9,000億円、この膨大な経済援助について日本は中国側の感謝を引き出すことも出来たはずだ。が、村山氏はそうはせずに「核実験禁止が全世界に行きわたるよう理解を得たい」と遠慮がちに述べた。
当時核実験を繰り返していた中国に、ODAを差し上げますから、何とかしてほしいとお願いしたわけだ。江沢民主席は高飛車に言ってのけた。「我々の核実験は限られたものだ。御心配には及ばない」と。
なぜ日本は責められるのか
村山氏は反論出来ないまま、屈辱的な形で首脳会談を終えた。社会党左派出身の、首相となるための素養も教養も積んでいなかった人物の限界である。小泉首相が繰り返したのは、その村山氏の談話だ。
今回、なぜ中国は謝罪もせず、国家としての損害賠償にも応じず、日本を非難するのか。反対になぜ、日本側が謝罪し反省しなければならないのか。首相の対中外交はこれらの問いに答えられない。
一連の経過を振り返れば、今回の反日運動はまず韓国で竹島問題を直接のきっかけとして始まった。間違いなく日本の領土である竹島を、盧武鉉政権が政治的に利用し、公然と日本批判を行った時点から、韓国の反日運動がさらに拡大したことを私たちは見逃してはならない。韓国での反日運動は竹島や歴史の政治利用によって国内の保守派をつぶし、日本をも批判しようとする盧政権の目論見の結果であり、日本は責められるべき何事をもしてはいない。
片や中国の反日運動は長年の反日教育抜きには語れない。中国の教科書を見よ。人民教育出版社歴史室の編纂した『中国歴史』の冒頭には歴史の学習による「思想品徳」つまり「強烈な愛国の熱情と民族の誇り」「中国共産党につき従い社会主義の光り輝く大道を歩む信念」を身につけることが重要だと書かれている。そのために、中国歴史の栄光を誇大に描き、その栄光を強調するために、殊更に日本を暗黒として教えるのだ。
子供時代からの愛国教育の先に、日本軍は南京で30万人を虐殺したなどの、事実に程遠い歴史を捏造し、反日に導いてきたのが中国政府だ。日本への憎しみは中国人の骨身に浸透し、精神を蝕んできたはずだ。
日本の土台を腐らせるな
中国政府も韓国政府も執拗に繰り返す。「謝罪せよ」と。だが、日本側は歴代の首相に加えて天皇陛下も謝罪してきた。中国には実態としての戦時補償を3兆3,000億円も払ってきた。このことを国民には教えずに、繰り返し日本に反省と謝罪を強要するのは間違いだ。日本外交は、中韓両政府にそうしたことを自国民に周知させよと要求もせず、ひたすら物を言わないできた。その不手際と怠慢故に、日本外務省は、反日感情に関しては中国政府と韓国政府同様、重い責任がある。
今回のデモは実情を知らない日本憎しの反日国民感情が燃え上がった結果であり、日本政府は中国人の理不尽な暴力行為に厳しく抗議し、損害賠償を求めなければならない。だが、首相は日本の立場を主張するより日中友好を優先し、謝罪も補償も求めなかった。恐るべきは首相の歪な姿勢が、いまや小泉内閣全体に行きわたろうとしていることだ。4月22日の春の例大祭に小泉内閣の閣僚は麻生太郎総務相を除き、誰も靖國を訪れなかった。中韓両政府が要求する靖國参拝中止に、小泉政権の閣僚が見事につき従ったのだ。こうしたことは水面下の日中交渉で合意されたものと思われる。その上に、あの村山談話を再び、繰り返したのだ。日本の立場を置き去りにした“日中友好”など、日本にとって何の意味があるのか。そんな関係は友好どころか、害のみをもたらす。
国際社会は日中関係を冷静に見詰めている。「ワシントン・ポスト」「ウォールストリート・ジャーナル」「フィナンシャル・タイムズ」紙など、世界の主要紙は中国政府が歴史カードを用いて民衆を煽ったとの分析を報じた。中国が反日で日本を追い詰める背景に、日本が東シナ海で海底資源の開発を手がけようとしたり、国連安保理常任理事国にも立候補するなど、戦後はじめて、おずおずとながら自己主張を始めたことがあるとも分析されている。萎縮していた日本が、一人前に立ち上がろうとするいまこそ、日本の頭を強く叩いておかなければ本当に“普通の自立国家”になってしまう、日本を制するのは後になればなるほど難しいとの判断が中国側にあると国際社会は見ているのだ。
だからこそ、小泉首相は、バンドン会議で過去を謝罪するのではなく、新たな世紀のリーダーとして、21世紀の世界の活力の源となる民主主義の擁護を訴えるべきだった。人権尊重、自由経済の擁護、平和に徹した戦後60年の歩み。日本の姿は中国の強権強圧政治とは異なると、具体的に鮮やかに比べてみせることこそが日本国の首相としての責務だった。
首相の恥ずべき叩頭外交は中国に、歴史を利用することが最も効果的に日本を屈服させる方法だと、またもや、認識させた。この種の小泉外交こそが日本の土台を腐らせるのだ。